解説
梗概
古の星辰がまだ正しき位置にあったころ、宇宙の縁を侵す災厄のひとつが存在した。それが深淵を齧るもの、チュル=ンチラである。彼はこの世界の物質と非物質の境界に生まれ、創造と消滅を同時に食む存在とされる。
凡俗の目には、その顕現は「柔毛に包まれた小さな齧歯類」として映る。しかしそれは単なる化身にすぎず、真の姿を直視すれば、現実を齧り崩す無数の歯列と、宇宙を覆う毛皮の海とを垣間見ることになるだろう。
虚無、境界の侵食、微小のうちに潜む深淵。すべてを齧り削る無窮の歯。無限に増殖する柔毛による遮断と封印。それがチュル=ンチラである。
チュル=ンチラは旧支配者(Great Old One)に数えられるが、彼自身は“終末の前座”にすぎぬと伝えられる。彼が齧り尽くすものはやがて星々の土台そのものに至り、他の旧支配者すらその隙間から帰還すると言われる。
地上に現れる化身は、俗に「チンチラ」と呼ばれる小動物の姿をとる。この形態は人の愛玩を誘い、撫でられ、飼育されることで人間社会に深淵の齧り跡を拡げる役割を担う。
毛皮に触れた者はしばしば不可思議な夢を見る。夢の中で彼らは、小さな歯が静かに世界を削っていく音──「カリ、カリ、カリ」という無窮の囁きを聞くのである。
信仰
秘教団体「灰毛の結社(Cult of the Gray Fur)」は、チュル=ンチラの化身を大量に飼い集め、彼らの齧った木片や石片を聖遺物として崇拝する。
儀式においては、化身の毛を集め、灰にして吸入することで、次元の裂け目に意識を通すことができると信じられている。
狂信者たちは「我らが主はかわいい」と唱えるが、それは深淵に親和することを装う欺瞞の言葉でしかない。
砂浴び
チュル=ンチラの「砂浴び」は、凡俗の観察者には、それは愛らしい清潔の習性に見える。化身であるチンチラが細かい砂に身を転がし、毛皮を清めているようにしか映らぬだろう。しかし、それは単なる衛生行動ではない。
チュル=ンチラの砂浴びは、深淵の微粒子を削ぎ落とす儀式である。彼らの毛皮は常に次元の裂け目を濾し取っており、やがてその毛に「無の粉塵」が付着する。これを払い落とさねば、化身の形態は崩れ、真なる姿──星辰を覆い尽くす灰色の毛皮の海──が漏れ出すのだ。
よって砂浴びとは、次元間の残滓を祓う浄化の儀式である。毛皮を媒介として世界に滲み出す虚無を封じ込める行為にほかならない。
使用される砂は地上のものに見えるが、神話的には「虚砂(Kyusa)」と呼ばれる。これは宇宙の縁からこぼれた粒子であり、時間と物質を均質化する性質を持つ。化身が転がることで、彼らの毛皮についた異界の残滓と反応し、現実へ流出するのを防いでいる。
観察者が不用意に砂浴びに触れると、皮膚や肺から時空の砂が侵入し、記憶の粒化(過去が断片化する)、皮膚の透過性増大(毛穴から無数のささやきが聞こえる)、夢に現れる「無数の灰毛の渦」といった異常が報告されている。
「灰毛の結社」では、砂浴びを神の小儀式と見なし、同様の行為を模倣する。狂信者は自らも細砂に身を転がし、虚砂を体に取り込み、深淵の気配に近づこうとする。成功した信徒の体毛は灰色化し、やがて「人にして鼠なるもの」へと変貌していくという。
つまり、砂浴びとは 神格の力を抑え込むための秘儀であり、同時に異界と現世をつなぐ危うい儀式である。



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